あの日から、要は前にも増して楓を気にするようになっていた。
毎日のように話かけてくる要を、楓は避け続ける日々。
楓はあの日以来、要と向き合うのが怖かった。
要といると、ずっと心の中に封印していたものがうずく。それを認めたくなかった。ある日、楓の家に要がやってきた。
チャイムが鳴り響くと、楓は嫌な予感がした。
玄関のドアを開けると、そこには満面の笑みをこちらに向ける要がいた。「よっ」
軽やかに手を振る要に、げんなりとした表情の楓。
なんで彼はこんなにも自分に構うのだろうか、と楓は要の存在が不思議で仕方なかった。
イケメンで人気者なのに、実はちょっと変な人なのだろうか。もう、放っておいてほしい。
「何してるの?」
「何って……おまえに会いに?」要は悪気もなく答える。
「おまえ最近、俺のこと避けてるだろ? 寂しくてっさあ」
さらっとすごいことを言う、恥ずかしくないのだろうか。
寂しいって、言われたのいったいいつ振りだ? いや、はじめてかも。楓は下を向き、固まってしまう。
きっと顔は赤くなっているに違いない。
「なあ、家族いねえの? 挨拶させてよ」
要は家の中を覗き込もうと、顔をキョロキョロと動かす。
「何言ってんのよ、帰って」
楓が扉を閉めようとすると、それを要が阻止してくる。
「なんで? せっかく来たのに。いいじゃん、ちょっとくらい」
「ダメ、絶対。とにかく帰って、お願い」玄関の前で二人が騒いでいると、
「何やってるの?」
楓の妹の美奈が、要の数歩後ろから二人を訝しげに見ていた。
要が美奈を指差し「誰?」と尋ねる。
「あなたこそ誰?」
美奈が言い返す。
「え? あ、あの、その」
二人に挟まれ、楓はあたふたする。
こんな状況になる日がこようとは思いもしなかった。
だって、楓を訪ねてくるような人はいなかったから。どういう反応をすればいいのか、楓の処理能力が追いついていかない。
「あ、妹か」
要が勘を働かせ、見事言い当てる。
すると、美奈も即座に場の雰囲気を察知し、可愛く微笑みながら挨拶する。「楓の妹の美奈と申します、よろしく。そちらは?」
絶世の可愛さと天使の様な微笑みを見ても、顔色一つ変えず要が挨拶を返す。
「あー、どうも。俺は楓さんの友達です!」
「ぶっ」あまりの不意打ちに、楓は噴き出してしまった。
友達……と言ったの?
美奈も驚いた様子で、ぽかんとしていた。
「……へえ、友達ですか。
姉の友達に会うの初めてです。これからも姉と仲良くしてあげて下さいね」 「こちらこそ。仲良くしたいと思っているんで、大丈夫ですよ。なっ」要が楓に微笑む。
楓はブンブンと思い切り頭を横に振った。それを見ていた美奈がクスクスと笑う。
「美奈ちゃん……」
「お姉ちゃん、よかったじゃん。楽しいお友達ができて」 「ち、ちが」楓が否定しようとした瞬間、恐ろしい声音が聞こえた。
「ずいぶん、楽しそうなこと」
楓の血の気が一気に引いていく。
この声は――
「なんだか騒がしい声が聞こえると思ったら、やっぱりあなただったの」
どこか買い物にでも出ていたのか、外から戻って来た様子の亜澄がゆっくりと要へと近づいていく。
亜澄の背後には、物凄く邪悪なオーラが広がっているように見えた。要のことを虫けらを見るような目で見降ろす亜澄。
その口から発せられる声は、氷のようだ。しかし、要はあっけらかんとしていた。
「このおばさん、誰?」
この場の空気を完全無視した言葉が、要の口から発せられる。
亜澄の表情は固まり、片眉が少しだけピクリと動く。 楓も固まってしまい、下を向いたまま何も言わない。見かねた美奈が代わりに答えた。
「母です」
「へえ……怖えー母ちゃんだな」ケラケラ笑いながら、楓に話しかける要。
楓はさらに血の気が引いていくのを感じた。もうやめて、何でそんなこと言うの!
楓は心の中で要に向かって叫ぶしかなかった。
余計なことはするな、余計なことは言うな。これが楓の決めたルール。
少しでも荒波立てずに平穏に過ごすため、編み出した鉄壁の約束だったのに。要は簡単にそれを打ち破ってくれる。亜澄が不気味な笑みを浮かべる。
「さすが、楓の友達ね。マナーがないようで」
語尾が強くなり、凄みを増していく亜澄。
それに対し、要は全然気にすることもなく堂々と向かい合った。「そうっすか。あなたもね」
要は亜澄に対し挑戦的な態度で攻める。
「なっ、なんですって!」
要のせいで、亜澄の感情が高揚しているようだった。
楓は慌てて止めに入った。
「ご、ごめんなさい。この人すぐに帰りますから、許してください」
楓が二人の間に入り、要を強く押す。
早くして、とばかりに手に力を込めた。「帰って」
「お、おい」要は戸惑いながら楓を窺った。
「お願い、帰って」
その鬼気迫る様子に、要は仕方なく引き下がることにした。
「わかった、帰るよ……ごめん」
要がしょぼくれた顔して、踵を返す。
「ふんっ、もう来ないでね」
亜澄の捨て台詞を聞き、要は言い返してやろうと思ったがやめた。
楓をまた傷つけることになるかもしれないから。「さあ、美奈ちゃん、お家に入りましょう。楓! 早くしなさいっ」
「は、はい」亜澄が優しく美奈を抱き、家へ入っていく。
その後ろ姿を寂しそうな顔で見つめ、後ろからとぼとぼと入っていく楓。その様子を見ていた要は、楓が家に入ったのを見届けてから、大きくため息をつき「くそっ」と吐き捨てる。
それから重い足取りで、要は帰っていった。
あの日から、要は前にも増して楓を気にするようになっていた。 毎日のように話かけてくる要を、楓は避け続ける日々。 楓はあの日以来、要と向き合うのが怖かった。 要といると、ずっと心の中に封印していたものがうずく。それを認めたくなかった。 ある日、楓の家に要がやってきた。 チャイムが鳴り響くと、楓は嫌な予感がした。 玄関のドアを開けると、そこには満面の笑みをこちらに向ける要がいた。「よっ」 軽やかに手を振る要に、げんなりとした表情の楓。 なんで彼はこんなにも自分に構うのだろうか、と楓は要の存在が不思議で仕方なかった。 イケメンで人気者なのに、実はちょっと変な人なのだろうか。 もう、放っておいてほしい。「何してるの?」 「何って……おまえに会いに?」 要は悪気もなく答える。「おまえ最近、俺のこと避けてるだろ? 寂しくてっさあ」 さらっとすごいことを言う、恥ずかしくないのだろうか。 寂しいって、言われたのいったいいつ振りだ? いや、はじめてかも。 楓は下を向き、固まってしまう。 きっと顔は赤くなっているに違いない。「なあ、家族いねえの? 挨拶させてよ」 要は家の中を覗き込もうと、顔をキョロキョロと動かす。「何言ってんのよ、帰って」 楓が扉を閉めようとすると、それを要が阻止してくる。「なんで? せっかく来たのに。いいじゃん、ちょっとくらい」 「ダメ、絶対。とにかく帰って、お願い」 玄関の前で二人が騒いでいると、「何やってるの?」 楓の妹の美奈が、要の数歩後ろから二人を訝しげに見ていた。 要が美奈を指差し「誰?」と尋ねる。「あなたこそ誰?」 美奈が言い返す。「え? あ、あの、その」 二人に挟まれ、楓はあたふたする。 こんな状況になる日がこようとは思いもしなかった。 だって、楓を訪ねてくるような人はいなかったから。 どういう反応をすればいいのか、楓の処理能力が追いついていかない。「あ、妹か」 要が勘を働かせ、見事言い当てる。 すると、美奈も即座に場の雰囲気を察知し、可愛く微笑みながら挨拶する。「楓の妹の美奈と申します、よろしく。そちらは?」 絶世の可愛さと天使の様な微笑みを見ても、顔色一つ変えず要が挨拶を返す。「あー、どうも。俺は楓さんの友達です!」 「ぶっ」 あまりの不意打ちに、
楓の家族は父と母と妹の四人家族。 父は医者、母は専業主婦、妹は進学校の私立中学に通っている。 父は家族に関心がない。 楓が物心つく頃から可愛がられた記憶はなく、いつも冷たい目で見下ろされたことしか思い出さない。 父には愛人がいるようで家にいないことが多かった。 母も愛人の存在を知っているようだったが、父に捨てられることを恐れ何も言わず耐えていた。 母がいつもイライラしていることが多いのは、そのせいもあるのかもしれない。 父は決して家族を愛しているようには到底思えなかった。 朝早くに出て行き、夜遅くに帰ってくる。 家族とは滅多に顔を合わせないし、合わせたとしても話もろくにしない。 休みの日があっても、家族をどこかへ連れていくことは絶対ないし、自分のためにしか時間を使わない。 助けが欲しいときも、助けてくれたことはなかったし、はなからそんなモノに気づくことはない。 妹の美奈(みな)は誰からも愛されていた。 頭が良く、容姿端麗、要領もよく、友達も多い。 大人たちからも信頼されていた。 そんな美奈が、父と母から寵愛を受けるのは、ごく自然なこと。「お姉ちゃんも、もっと賢く生きた方がいいよ」 昔、楓は美奈にそう言われたことがある。 楓には無いものを沢山もっている、それが楓の妹、美奈だった。 母の亜澄(あすみ)は、とても繊細で傷つきやすく、とても脆い人。 いつも自分を守ることに必死で、余裕がない。 父に愛されるため、妹に気に入られるため、いつも二人に尽くしている。 まるでそのことで、自分の存在を確かめているかのように。 ただ、楓にだけは違っていた。 亜澄は楓の前だといつもイライラしていた。 美奈のことは可愛いのに、楓のことは可愛くない。 どうしても愛せなかった。 ストレスが溜まるたび、それを楓にぶつける日々。 亜澄は楓に嫌悪感しか感じられなかった。 これが、楓の家庭の当たり前だった。 この家族しか知らない。この家しか帰る場所はない。 たとえそれが、地獄のような日々だったとしても――。 楓は一人、家路を歩いていた。 だんだん家が近づくにつれ、楓の胃がシクシクと傷み出す。 帰りたくない、しかし、行く当てもない。 どこへ行けばいいのかわからない、行きたいところもない。 重い足を懸命
「よっ!」 驚いた楓の肩がビクッと動き、ゆっくりと振り返る。「……藤原くん?」 楓は訝しげな顔をする。 警戒心が強い野良猫のように、人を拒絶するオーラが見えそうだ。 要は掌をひらひらと振りながら、ニコニコと楓に近づいていく。 少しでも警戒心を抱かれないようにという、彼なりの計らいだった。「一人で掃除してんの?」 近くにあった机の上にひょいと座り、要が尋ねる。 楓は俯いてしまい、何も応えない。 目線も一切合わせようとしてこない。「……おまえさあ、よく一人で掃除してねえ?」 その言葉に、楓の眉が少し動いた。「そんなことない。何か用事?」 動揺を読まれないように、冷静を装った楓が小さく反応した。 まだまだ警戒を緩めそうにはなかったが、反応があったのは収穫だ。要は心の中でガッツポーズを決めた。 楓と要は隣のクラスで、たまに校内ですれ違ったり、要が楓に一方的に話しかけてくる以外に接点はない。 要は友達も多く、人気者で、いつも楽しそうに生きている……ように楓には見えていた。 そんな彼がなぜ、正反対の楓に声をかけるのか。 楓には見当もつかなくて、戸惑うばかりだった。「嫌なことは嫌って言えよ。いつもみんなの言うこと聞いてるだろ? 疲れない?」 突然の要の発言に、楓は驚愕する。 なんで要がそのことを知っているのだ、と不思議に思いつつ、楓は冷静を装い言い返した。「……関係ない」 「関係なくない、俺はおまえが心配なんだよ」 楓は驚いて要を見る。 要の表情は真剣だった、からかっているようには見えない。 楓は心底不思議だった。 なぜ私にそんなに構うのか、なんで心配するのか……。 でも、そんなに嫌な気持ちはしなかった。 なんだかムズムズする。変な気分だ。「それは……疲れるけど……嫌だけど」 楓の言葉が途切れる。 要には彼女が何かを思案しているように感じ、しばらく次の言葉を待った。「みんなの言うこと聞かないと、私……意味ないし」 その瞬間、楓の言葉は重みを増し、瞳に影がよぎった。 彼女の中に見た深い悲しみの根源は、この陰にあるのではないか。 要はそれを逃さなかった。「何? どういう意味?」 要はわからない、だから知りたかった。 楓は持っていた箒をぎゅっと強く握って叫ぶ。「――なんの役にも立たない、
いつも気になってた―― 君の瞳の奥にはとても深い闇があって。 誰も届かない闇の中、一人膝を抱え震え。息もせず、声を殺しながら泣いている、君がいる……。 なのに、君はいつも笑うんだ。 苦しみを隠すために。 儚く今にも消えてしまいそうな君は笑うんだ。 何が君をそんな風にしてしまったのか、本当の君はどんな人なのか、すごく気になった。 いつのまにか目で追うことが多くなって、気づくといつも君を探してた。 君が無理に笑うのを目にする度、心の底から笑うところを見たい。 そう願ってしまう、強く願ってしまったんだ。 寂しく微笑む君は、何もかもあきらめてしまったような悲しい目をする。 なぜ? 何が君をそうさせている? もっと君を知りたい……。 廊下では、生徒たちが他愛もない話に花を咲かせている。話声や笑い声、廊下にはたくさんの音が交差していた。 とても平穏な学校の風景。 春の暖かな日差しが差し込み、窓から爽やかな風が吹き込むと、窓際で佇んでいた藤原(ふじわら)要(かなめ)の髪が風になびいた。 その様子を偶然通りかかった女生徒がうっとりとした目で見つめる。 要は世間でいうイケメンだった。 長身でスタイルもよく、人が羨むような整った綺麗な顔をしている。勉強もスポーツも人並以上にできたし、性格も悪くなく、校内ではかなりの人気者の地位を確立していた。 本人はそんなことにはまったく興味はなく、要が今、興味を持っているのはただ一つ――。 要は爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくり吐き出す。「よしっ」 気合を入れると、ある場所へ向かうため歩き出した。 要は目的の場所で足を止める。 教室の入口から中の様子を伺うため、そっと覗き込んだ。 放課後ということもあり、教室にはほとんど生徒は残っていないようだ。 女生徒が数人ほどしかいなかった。 要はその女生徒たちに注目する。 どうやら、数人で一人を囲んでいるようだ。中心にいる女生徒は、下向き加減でそこにいた。 井上(いのうえ)楓(かえで)は、いつも下ばかり向いている。 自信無さげで大人しくて、いかにもいじめの標的にされそうなタイプだった。「ね、お願い。井上さん、掃除当番代わって? 私たち今日大切な用事があるんだ。井上さんは暇でしょ?」 いかにもギャルっぽい感じの女生徒が、